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能は自然を通して異界とつながるのではないか

更新日:4月5日

宇治・平等院で行われた能楽公演鑑賞のため京都へ。

現代では能や狂言は能楽堂という屋内で行われることがほとんどですが、もともとは屋外で行われていたということで、

「能楽は、元々は娯楽性の強い庶民的なエンターテイメントだったものを世阿弥が現在に受け継がれている能に見るような洗練された様式美や神聖さを感じる舞台芸術に高め、日本人が自然の中に見ていたカミ、精霊、亡くなった人や怨霊などとつながり、日常から非日常の世界へと私たちの意識を広げることを、屋外で演じることにって周囲の自然を通して行っていたのではないか」

と素人ながら常々思っており、世界文化遺産の平等院の鳳凰堂前で行われる特別な機会ということもあり行ってきました。


平等院鳳凰堂が地上に広がり、その姿が広大な池に映るという藤原氏が描いた荘厳な極楽浄土的世界をバックにつくられた特設ステージで演じられた、宇治にまつわる狂言「通圓」と能「融」





ときおり電車やバイクの音が聞こえたり、空には飛行機が飛んでいるのが見えたりと「中世の世界へタイムスリップ」とはならなかったものの、スーパームーンが昇る広い空間に鼓や笛、地謡が響き、人であるのに人でないような演者の姿から感じる「自然や宇宙とつながる何か」

世阿弥の時代の能の演じられ方に詳しくはないですが、真昼間ではなく、昼間から夜へと移行する夕暮れ時から始まり、真っ暗闇になった空間に焚かれた篝火に演者の姿がほのかに浮かび上がり、鼓や笛、謡の音が見るものの意識を遠くまで広げたのではないか、、、。

「薪能」は現代でも各地で行われており、私も鎌倉で見たことがありますが、その時は観客数が多く舞台が遠かったので「演者」と「自分」は離れた別の存在として自分はあくまでも「観客」でした。が、今回の平等院の講演は観客が限定100名だったため、舞台が目の前。演者の息遣いも聞こえるほど近く、舞台と観客が一体となり、演者の動き、皷・笛・謡の音と共にその場が広く遠くへと拡大するような、自分の意識までもが広く遠く異次元まで広がって、異界ともつながるような感覚を覚えました。

あくまでも個人的な感覚ですが、これは屋内という閉じられた空間では感じたことがない感覚で、屋外、それも電線やネオンサインなどがない「闇」の空間で、空気を揺らす風、池の水のゆらぎ、星のまたたき、少しずつ闇を明るく照らす月の光、木々のざわめきなど、自然の要素を通してこそ感じられたように思います。

こういった場で感じる感覚、感情はうまく言語化できないし、しようとしないでそのままにしておく方が良いのだろうなとも思うし、この「言語化できない感覚」こそが日本らしさでもあるのかもしれません。

平等院は、源頼朝が鎌倉幕府を開くきっかけとなった以仁王の平氏打倒の戦いで頼朝よりも先に戦に出た源頼政が敵に追い詰められて自害した場所とのことで墓所もあり、鎌倉幕府を支えた三浦一族がいたエリアに住む者としてはしみじみしてしまったりも、、、

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